僕は日本語をよく使わないんだから、練習するために今度使っています。 十四歳時、中学の一年に初めて勉強してた。 その前、八年で中国語を勉強してた。毎週、土曜日の朝早く起きなければならなかった。授業は九時から十二時半までだった。だから僕は子供時に毎週六日に学校
に行かないとだめだった。高学(この漢字は正しいかわからない)に受けてすぐに中国語の勉強をやめた。
でもお母さんは僕がどんなのアジア語を勉強するのがほしかった。あの時まで日本語のこと全然知らなかった。僕の日本語の勉強は十四歳から十八歳まで。六年前、日本の文化と言語をべんきょうに大阪へ行った。四週間で坂ファミリーと泊まってた。その家族に五人がいた。お父さん(直樹)、 お母さん(伸子)、 お兄さん(広樹、十九歳)、 お姉さん(直美、 二十一歳)、 妹 (佳美、十四歳)。皆僕に心切にしてくれた。週末に野球ゲームとUSJと奈良に遊びに行った。それとも映画を見に行って、いろんなレストランで食べに行った。毎週の月曜日から金曜日まで授業があった。毎週二回藤本さんは皆を特別な所へもってくれた (文法はここにめっちゃ違うかもしれない)。
これまでは「桃山大学プダグラスカレージ留学生プログラム」って言う。その次は「京都外国語大学留学生プログラム」と言う。このプログラムは一週間でホスオファミリー家で泊まって、そして二週間でアパートで泊まる。私のホストファミリーは高畑家族だった。その時にお父さん(彼の名前も直樹だけど書き方が俺は分からない) が働いてたから会えなかったんだ。お母さんの名前を忘れてしまったけど本当に料理できました。お姉さんは私一緒学校の学生麻姫と言う。弟は私と同じ年俊介君と呼ばれた。その一週間後、アパートで泊まった。食べ物とか飲物とか買えるため、皆は学校に二万円を送らせた。
Sunday, June 8, 2008
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